PLAN75を見た

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邦画ってのはどうしても良い映画は暗いもんが多い。この国の暗雲立ち込める空気をどうしても反映させてしまうんだろうな。
だからあんまり見たくないんだけど、時間もあるし、体力もあるし、授業づくりにも使えるかもなーと思って見た

超高齢化社会である現代日本で、75歳以上を迎えると安楽死が選べるPLAN75が施行された。主人公は75歳以上で仕事をして働いていたけれど突然解雇されて住む場所も維持できずPLAN75に参加する、というもの

盛り込まれていた要素①高齢者増加②排除ベンチ③外国人労働者④相互ケア⑤当事者性

①高齢者の増加によって、若者がしわ寄せを受けているという言説。最初、高齢者を「へらす」ことを提起をしていたシーンを見て、やまゆり荘事件を思い出した。
カメラのピントの合わせ方、時間の進み方、そういった物は映画の良さを感じさせる使い方だなーと素人目で思った。ぼやけた視界、ピントが合ったと思ったら血塗れの腕、犯人の独白。あれで一気に引き込まれる。

②排除ベンチのくだり。あれは正直笑ってしまった。こんなのもあるんですね~!とか言って色々寝て試してみるシーン、長い~って思ったけどまあ問題提起したいのはわかる。ほのぼのしながら人を排除しようとするなよw
あそこのシーンは排除のために躍起になっている人を鼻で笑うシーンなのか…?それとも、排除を仕事として処理している公務員の思考のなさ(thoughtless)を強調するシーンなのかな

③外国人労働者問題も盛り込んでいるんだーとも思ったけど、日本の現状を現すとしたら入れないほうが「明らかな意図がある」となる。入れても「明らかな意図がある」となるんだけどw
老人ホーム的なところで働いていたアリサ(だった気がする)が、PLAN75の施設で働くという流れだった。外国人労働者を雇用しているのは、NIMBY(not in my backyard)的な考え方なんだろうな。この世界の「汚れ仕事」ってことで、やりたがる人がいない仕事は外国人労働者に流れていく。
モノ言わぬ人物でも、「共犯者」として手伝うくらいには自分自身を持っているって感じだな。自分がいる状況を自覚しつつ受け入れているのが、他の仕事人と少し違う様な気がする

④主人公と「稲ちゃん」は互いを気に掛ける関係だったというのを、手を握るだけで強く印象づけられた。掃除の人たちで一緒にご飯を食べて、おしゃべりして、ああこれってケアだ~と思う。
冒頭の働いて、おしゃべりして、一緒にカラオケして、それが働けなくなったことだけで全てが崩壊して、薄氷の上の生活なんだな。地獄みたいだ。

多分「叔父さん」には、あまりなかった「ケア」。ホモソーシャルな社会には見られないコミュニケーションであり、その対比みたいな感じなのかな~。
叔父さんは献血して、働いて、いわゆる「社会に貢献した」人であり、その献身が最後には安楽死の選択ってなんだかなあ。「人は何のために生きるか」ということが環境によって変化してしまうのって当たり前だけど、社会とか国の施策とかで左右されてしまうのってなんかムカつくなあ。

⑤公務員の人も、PLAN75のコールセンターの人も、どっちも自分に避けられない「当事者性」を持つことで疑問を持ち始める。そういうもんだよね、自分の周りを考えることで手一杯で、いざ自分に降りかかったらどうしようもなく。でもその問題は解決に至るには、自分で大きい声をあげなければいけない。なぜなら、マイノリティの問題はいつまでたっても「当事者性」を持たれないで、問題がないものとされるから。
これって厄介だよな。忙しく忙しく働いて、遠くのことなんて気にかけないでいるのが常だもんね。

こういう排除論とかって、本当に想像力のなさと人を「使えるか/使えないか」で見る考え方から来ているんだろうなーと思う。
コールセンターの人がこっちを見てきたのが、面白い演出だなーと思うなどした。

【総評】

この映画を見て考え方が変わったかと言われれば、変わってないと思う。同じ主張なんだと思う多分。そして人の考えはそんなに変わらないもんだし。

まあでも、当事者性をもって疑問を持っている人が出ている、制度にあらがって逃走した主人公と、叔父さんを連れ出した公務員の人がわき目も降らずに運転するのは人間が問題を自分と切り離して考えることの限界を感じたというか。良心というか。

生きることの光的な面を出して終わったのだろうか。

やっぱり邦画って暗い


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